映画感想

【FF14】無限城からエオルゼアへ、魂を揺さぶる声の物語

皆さん、こんにちは! うだるような暑さが続く今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。私は先日、この灼熱の現実から逃れるように、涼しい映画館へと駆け込み、一本の映画を観てきました。

そう、日本中が、いや世界中が公開を待ちわびていた、あの大人気シリーズの最新作。 劇場版「鬼滅の刃」無限城編です。

先に結論から言わせていただきます。これは、単なる「面白い」という言葉で片付けてはいけない、一つの「映像体験」でした。過去のシリーズも、常に私たちの想像を遥かに超えるクオリティで応えてくれましたが、今回の「無限城編」は、そのレベルをさらに数段引き上げた、まさに「圧巻」の一言。約2時間半の上映時間、私は一度もまばたきをすることすら忘れ、完全にスクリーンの中の世界へ没入していました。

今回は、そんな最高の映画体験の感想と、そして、その感動の源泉を探っていく中で気づいてしまった、驚くべき「繋がり」について、いつも以上に熱く、長く語らせていただければと思います。

 

記事が始まる前に一つだけ。 この記事はどこまでいっても私個人の主観であり、感じたことに過ぎません。キャラクターの解釈も、声優さんの演技の受け取り方も、きっと人それぞれで、全く違う感想を持たれた方も大勢いらっしゃると思います。
ですので、「へぇ、こんな風に感じる人間もいるんだな」くらいの、一つの読み物として、軽い気持ちで楽しんでいただけていたら、とても嬉しく思います。

またFF14等に関するネタバレも含まれますので、気にされる方はプラウザバック推奨です!

※あはは。パパララが微妙に映ってますね。まぁ別にいいんですけどw

 


 

第一部:絶望と覚悟の渦~劇場版「鬼滅の刃」無限城編、感想という名の絶賛~

今回の物語は、これまでのシリーズとは明らかに一線を画す雰囲気で幕を開けます。それは、最終決戦の始まり。希望と絶望が、凄まじい密度で渦巻く、息もつけないほどの緊張感です。

 

静寂から始まる、決死の覚悟

最初の時点で鳥肌が止まりませんでした。最強の剣士たちが、ただ一つの目的のために集い、死地へと赴く。ここから先の物語に、一切の安息はないのだという、作り手からの強烈なメッセージを感じずにはいられませんでした。

何百年にもわたる鬼殺隊の悲願と、未来への願い。この映画が、単なるアクションエンターテイメントではなく、命を繋ぐ者たちの、重厚な人間ドラマであることを、冒頭のわずか数分で叩きつけられました。

 

ufotableの映像美、ここに極まる

鬼殺隊の面々が無惨を追い詰めたと思った瞬間、鳴り響く、不気味な琵琶の音。次の瞬間、彼らは、そして私たち観客も、異次元の迷宮「無限城」へと引きずり込まれます。

ここからの映像表現は、もはや「神業」の領域です。 目まぐるしくスライドする襖、反転する天地、ねじれる廊下。物理法則を完全に無視した、あまりにも禍々しく、そして美しい空間。それは、無惨の歪んだ精神世界を、そのまま具現化したかのようでした。キャラクターたちが、その複雑怪奇な城の中を、縦横無尽に駆け巡る。その全てが、一切の破綻なく、凄まじいスピード感と浮遊感で描かれていく。あまりの映像密度に、脳の処理が追いつかない、という感覚を初めて味わいました。

特に、戦闘シーンの作画は圧巻です。 柱たちが放つ、それぞれの「呼吸」のエフェクトが、スクリーン上で激しく、そして美しく乱舞する。一瞬の斬撃の煌めき、衝突によって生まれる衝撃波、飛び散る血飛沫の一滴に至るまで、その全てに魂が宿っているかのようでした。家庭では絶対に味わえない、映画館の巨大なスクリーンと音響で体験してこそ、その真価がわかる映像芸術です。

 

 

 

息つく暇もない、絶望の連戦

物語の構成も、実に見事でした。 無限城に引きずり込まれた鬼殺隊の面々は、それぞれ分断されてしまいます。そして、彼らを待ち受けるのは、上弦の鬼たちとの、絶え間ない連戦。

これまでの物語のように、修行パートや、日常を描くコミカルなシーンは一切ありません。あるのは、死と隣り合わせの極限状態だけ。次から次へと襲い来る強大な敵。仲間がどこにいるのかも分からない、孤独な戦い。この、息もつかせぬ展開が、観客の心に、登場人物たちと同じ「絶望」と「焦り」を植え付けます。

しかし、それでも彼らの心は折れない。 どんなに追い詰められても、仲間を信じ、己の責務を全うしようとする、その鋼の「覚悟」。特に、胡蝶しのぶが、姉の仇である上弦の弐・童磨と対峙するシーン。彼女の普段の穏やかな笑みの裏に隠された、燃えるような怒りと、全てを賭した策略には、胸が締め付けられ、涙が止まりませんでした。

あっという間の2時間半。エンドロールが流れた時、私は心地よい疲労感と共に、しばらく席から立つことができませんでした。凄まじいものを観てしまった。そして、この絶望的な戦いの続きを、一刻も早く見届けたい。そんな、矛盾した感情で、心がぐちゃぐちゃになっていました。


 

第二部:さて、ここからが本題です

と、ここまで「鬼滅の刃」への賛辞を、とめどなく書き連ねてきました。我ながら、早口でまくしたてるオタクそのものですね(;’∀’)

きっと、これを読んでくださっている賢明な読者の皆様は、こう思っていることでしょう。 「いや、気持ちは分かったけど、ここ、FF14のブログだよね?」 「一体、この記事がどうやってFF14に繋がるのよ?」と。

おっしゃる通りです。

実は、私がこの映画を観て、あれほどまでに心を揺さぶられたのには、もう一つ、理由があるのです。

数多の強敵が登場する中で、ひときでも、その存在感、その哲学、そして何よりその「声」が、私の心に深く、深く突き刺さったキャラクターがいました。 彼は、ただ強さを求め、強者との闘争にのみ至上の喜びを見出す、純粋な武の化身。

上弦の参・猗窩座(あかざ)

彼の、あの圧倒的な「強さ」とは、一体何なのか。なぜ彼の言葉は、あんなにも悲しく、そして力強く響くのか。映画館の暗闇の中で、そのことをずっと考えているうちに、私は、ある一つの事実に思い至り、全身に電流が走るような衝撃を受けたのです。

――私は、この魂の叫びを、知っている。 この、あまりにも一途で、悲しいほどに純粋な「強さ」を、別の世界で、何度も目にしてきた。 そう、私たちが愛する、ここ、エオルゼアで。


 

第三部:石田彰という声優が紡ぐもの

今回の記事の核心。それは、一人の天才声優が繋ぐ、二つの世界の物語です。 上弦の参・猗窩座。そして、FF14における、ある重要なキャラクター。この二人の魂に声を吹き込んでいるのは、どちらも同じ人物。

声優・石田彰(いしだ あきら)さんです。

声優に詳しい方であれば、この名を聞いて、すぐに納得のため息を漏らすことでしょう。石田彰さんといえば、その唯一無二の声質と、神がかり的な演技力で、数え切れないほどの作品で、極めて重要で、複雑な役柄を演じられてきた、まさに「レジェンド」の一人です。

 

 

猗窩座という、悲しき「強さ」の化身

まず、猗窩座というキャラクターについて、少し掘り下げてみましょう。 彼は、鬼の中でも特異な存在です。無惨への忠誠心よりも、己の武の探求を優先し、強者との死闘に純粋な喜びを見出す。その戦闘スタイルは、洗練された武術そのもの。

石田彰さんの演技は、この猗窩座というキャラクターに、完璧な生命を与えています。 戦闘中の、あの突き抜けるような悦びの声。強者を前にした時の挑戦的な言葉の数々。それらは、彼がただの鬼ではなく、確固たる信念と哲学を持つ「武術家」であることを、私たちに強く印象付けます。

しかし、彼の声には、ただの強さだけではない、どこか深い「哀しみ」が常に寄り添っている。

最愛の許嫁と、尊敬する師範。守るべき全てを、卑劣な手によって一夜にして失った青年「狛治」。その絶望と怒りが、彼を鬼へと変貌させた。強さへの異常な執着は、二度と何も失わないための、そして、守れなかった過去への、永遠の贖罪なのかもしれません。

石田さんの声は、その猗窩座の根底にある、人間「狛治」の、悲痛な魂の叫びをも、繊細に表現しているのです。だからこそ、私たちは、彼を単なる敵として憎むことができない。その圧倒的な強さに、恐怖と同時に、一種の憧れと、どうしようもない哀切を感じてしまうのです。

 

エリディブスという、気高き「役目」の化身

さて、翻って、私たちのエオルゼア。 石田彰さんが、この世界で声を担当されているキャラクター。それは、アシエン・エリディブスです。

この名を聞いて、多くの光の戦士が、様々な情景を思い浮かべることでしょう。ある時は、白いローブを纏った謎の調停者として。ある時は、私たちの前に立ちはだかった、好敵手として。

一見すると、この二人のキャラクターは、全くの別人です。 猗窩座が、己の肉体と武術を信奉する、直接的な「破壊者」であるのに対し、エリディブスは、言葉と策略を弄し、歴史の裏で暗躍する「調停者」です。その声色も、猗窩座の鋭く、感情的なものとは対照的に、エリディブスのそれは、常に冷静で、神々しささえ感じさせます。しかし、その仮面の下に隠された彼の本質こそ、猗窩座の魂と、どこか共鳴するのではないかと。

まぁ、勝手に想像してしまったわけですね(笑)

 

 

 

物語体験の、新しい扉

こんな事を思い始めてから、私の中で勝手に(笑)、猗窩座とエリディブスというキャラクターが、不思議な線で結ばれました。 無限城で、強者との戦いに歓喜する猗窩座の姿に、役目のために全てを捨て、ただ一人、世界の真理を追い求め続けたエリディブスの、孤独な強さが重なってしまいました。

逆に、エリディブスの、あの静かでありながら、決して折れることのない意志の強さに、かつて「狛治」として、大切なものを守るために拳を振るった、猗窩座の人間性が重なります。

一つの「声」を道標にすることで、全く異なる二つの物語が、互いのキャラクターの解像度を、さらに高めてくれる。これは、私にとって、とてつもない発見であり、新しい物語の楽しみ方でした。 声優さんは、ただキャラクターに声をあてているだけではない。そのキャラクターが背負う、歴史や、感情や、業、その全てを声に乗せて、私たちの心に届けてくれる、「魂の翻訳家」なのだと、改めて痛感しました。


 

結論:声に耳を澄ませば、物語はもっと深くなる

長々と、私の興奮と発見にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。 夏の日に観た一本の映画が、私にFF14の世界を、そして声優という職業の素晴らしさを、改めて教えてくれました。

石田彰さんという、一人の天才が紡ぎ出す「魂の形」。 それは、ある時は、至高の武を追い求める鬼となり、またある時は、世界を救うという役目に殉じた古代人となる。どちらも、圧倒的な「強さ」を持ちながら、その根底には、どうしようもないほどの「喪失」と「哀しみ」を抱えている。この共通点に気づけたことは、私の今後の物語体験を、間違いなく豊かにしてくれることでしょう。

もし、皆さんも、好きなキャラクターがいたら、ぜひ一度、その声を担当されている声優さんを調べてみてください。そして、その方が、他のどんな作品で、どんな役を演じているのかを知ってみてください。 きっと、そこには、私が見つけたような、驚くべき「繋がり」や、新しい発見が待っているはずです。

声に耳を澄ませば、物語は、もっともっと、深く、面白くなる。 エオルゼアの冒険も、きっと、今までとは違う響き方で、あなたの心に届くはずですから!

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